月猫ツーリスト

かわいいものを求めて西へ東へ右往左往の記録

真田について調べてみた

昨日の駄文で松代を歩いたら真田だらけだったことを書きましたが、真田というとイメージは上田でしょう。また、真田の城下町であることを宣伝しているところとしては群馬県沼田市なんてのもあります。一体真田って何時、どこに住んでたんだ?、と思って一寸調べてみました。


どうも戦国時代(といっても真田がちゃんと独立するのは本能寺の変の後)は上田が本拠地で、沼田が支店、という感じだったようです。現代の感覚では上田と沼田は凄く離れたところのように感じますが、上田の北東には真田郷もある菅平高原があって、そのすぐ東は嬬恋や長野原。長野原から沼田までは国道145号線で繋がってます。実は上田と沼田は100km程しか離れてないわけです。

とはいってもそれなりに距離が有るわけで、関ヶ原の戦いでは上田にいた親と次男は西軍、沼田にいた長男は東軍、何てことにもなるわけです。

んで江戸時代になると、最初は上田に住んでいたものの、1622年に松代に移って、松代で幕末を迎えると、そういうことのようです。何のことはない、一番長く住んでいたのは松代、ということになります。それなのに真田というと松代ではなく上田のイメージになってしまうのは何故なのか。理由は上田と松代、双方にあって……

  • 上田はなんといっても真田が二度も徳川と戦って負けなかった城。真田の名前を天下に知らしめているのは上田城があってからのこと
  • 上田市にとって、上田城は重要な観光拠点。売り込むには戦国時代のヒーローの名前を借りるのが一番
  • 松代のある長野市にとって、観光拠点は善光寺。松代はそんなに重要じゃない
  • 松代にとっても、佐久間象山とか松代大本営など、真田以外にも売り込むことに事欠かない

このあたりが理由で、真田の名前と松代が結びつかないのかもしれません。