月猫ツーリスト雑記帳

かわいいものを求めて西へ東へ右往左往の記録

岸田劉生展@大阪市立美術館

日曜のことですが、大阪市立博物館で岸田劉生展を見てきました。

岸田劉生というと娘の麗子ちゃんを描いた作品が有名で、麗子の画家という言い方をされることもありますが、展覧会のパンフレットもそれを意識して、「お待たせしました麗子です。」「麗子、いっぱい。」という煽り文句。麗子さんが集客になるのか、今ひとつ疑問ですが、とにかく麗子さん一押しだったわけです。


そんな麗子展、じゃなかった、岸田劉生展。会場は天王寺にある大阪市立美術館の1階でした。普段1階は山口コレクションの石仏を沢山展示しているところなので、それを動かして展示をしている辺りにも、美術館の気合いを感じます。


展示のほうは、「東京」「麗子の部屋」「鵠沼」「京都」「鎌倉」と、居住していた場所を中心に(要するに年代順に)コーナーを分けていました。

まずは東京時代。ここは有名になる前の修業の時代。人の顔を描きまくり、風景を描きまくる。その果てに生まれたのが重要文化財になっている「道路と土手と塀」。坂もさることながら、その上の青空が何か好きな作品です。
この坂は代々木にあった山内伯爵邸の横の坂道だそうです。代々木と言っても都庁に近い、ちょうど刀剣博物館のある辺りになるはずです。今度、言ってどのくらい急なのか確認してみたいところです。

麗子の部屋は、まず最初にこれまた重要文化財の「麗子微笑」が出迎えてくれます。その後ひたすら麗子麗子麗子と20作品程度。これだけ一度に麗子さんを見ると、流石に可愛く見えてきます、麗子さん。あと、麗子さんに対するお父さん(岸田劉生)の愛情のようなものも感じたりして。というか、麗子曼荼羅を描いてしまうあたり、溺愛ですな。
そんな中でも特に可愛いのが、泉屋博古館分館所蔵の「二人麗子」。他の麗子さんは、一人でモデルとして頑張っている感じなのですが、これはいかにも自然な感じがして、良い感じです。

鵠沼時代になると、風景画が柔らかくなるような気がします。都会を離れて、少し穏やかになったのかもしれません。麗子さんを描いた作品も、実際はこの時期に描いたものが多いようです。そんな中でも三重県立美術館の「麦二三寸」、空のグラデーションも良いし、あぜ道に麗子さんが居るのも良いなあと感じます。

その後、京都時代、鎌倉時代と続くのですが、やっぱり何となく、それまでの作品と比較して、インパクトに欠ける感じがします。メモにも感想が書かれてませんし……。


全体を通してみると、岸田劉生さん、麗子さんだけでなく奥さんや妹さんなど、家族への愛が溢れた絵を沢山残されているなと。38歳ではなく、もっと長生きしていたら、お孫さんとかも題材にしていたんじゃないだろうか、そんなことを思ったりします。


この展覧会、大阪でのみの開催です。良い内容なので巡回して欲しいところではありますが……。鵠沼も近い、神奈川県立近代美術館辺りでやってくれないかしら……。