月猫ツーリスト雑記帳

かわいいものを求めて西へ東へ右往左往の記録

「洛中洛外図屏風に描かれた世界」ギャラリートーク@林原美術館

岡山にある林原美術館は、母体の株式会社林原の経営破綻や消滅(長瀬産業の子会社化)の影響が心配されたものの、今のところは特に変化なく営業中。そういえば、あれだけ岡山に帰っているのに林原美術館に行った記憶がなかったわねぇ、ということで、今回はじめて訪れてみたのでした。

今、林原美術館で開かれているのは、「洛中洛外図屏風に描かれた世界」という展覧会。昨年、群馬と米沢で開かれた展覧会の巡回展ですが、洛中洛外図屏風が

の5点を一度に展示するという、めったにない機会。というか京博でやりなさいよレベルの企画展です。これで歴博甲本(重文)、歴博乙本(重文)も来ていたら個人蔵を除いて国宝重文完全制覇ですが、歴博のものは、現在佐倉の国立歴史民俗博物館での特別展に出陳中ですね。


で、この展覧会会場に入って3分ほどした頃から学芸員さんによるギャラリートークが始まりましたので、そのギャラリートークで聞いた話を書いてみたいと思います。ちなみに、30~40分程度と言って始めたギャラリートークですが50分弱かかった上に、時間配分が無茶苦茶な、学芸員さんの興味の方向がよく判る内容でございました……。

上杉本

ギャラリートークですので展示の順に話が進むのですが、まず最初は、上杉博物館所蔵の刀剣について。上杉景勝の愛刀だそうで、備前一文字なので何百年かぶりに岡山に里帰りしたことになるそうです。林原美術館で所蔵する備前一文字と、長さや刃紋が似ているとか。林原美術館所蔵の方も機会があれば見てみたいです。

その次は、洛中洛外図屏風に関連した上杉家文書が展示されていたので、その解説。ここで大興奮の学芸員さん。どうも学芸員さんの専門は古文書の方です。
上杉家文書の素晴らしさは、これが掛軸などに加工されず手紙の状態で残っていること、だそうで。展示されているものには手紙の入っていた封筒が並べて展示されていたり、手紙を止めるために手紙の端の方を細く紐状にした部分が残ってたりしてました。ちなみに紐状のところを誤って切ってしまうと、「国宝破損者として文化庁に怒られる」そうで、展示するのもヒヤヒヤらしいです。大変だ。

ちなみに、こういう大名が使用するような紙は虫がつかないそうです。理由は美味しくないから。逆に、庶民が使うような紙はコメのとぎ汁で漉いていたりするので、虫がやってくるそうで……。

と、まだ洛中洛外図にたどり着いていませんが、すでに時間は15分を経過しています(汗)。ここからは、巻き気味にギャラリートークが進みます……。

と言うことで上杉本の洛中洛外図屏風。本物は4月1日までの展示だったので、私が見たのは複製品。ですが、複製にしてはよい発色で……と思ったら、これは輪郭線だけプリントして、その上から手作業で色をつけたものだそうです。やるな、米沢。

上杉本は狩野永徳が描いたもので、織田信長が上杉謙信に贈ったもの。しかし、織田信長が狩野永徳に注文したとするには、永徳が若い頃の描き方に見える。では、織田信長が注文したのではないと考えたらどうなるか。各種文献を調査したところ、室町13代将軍の足利義輝が1565年に注文したものの、完成した時にはすでに足利義輝が暗殺されていて、そのまま狩野永徳が保持していたのを、完成後9年が経って1574年に織田信長が手に入れて上杉謙信に贈ったのではないか、そんな仮説が成り立つそうです。この説でいくと、この屏風は永徳が23歳の時の作品ということで、天才ってすごいですわ。

舟木本

と、上杉本までで25分以上が経過しましたので、ここからは本当に巻いていきます。次は東博の舟木本です。
この屏風は当時の人の様子や街の様子がよく分かるのが特徴。一番右に方広寺と豊国神社を大きく描き、左には二条城があることから、江戸幕府が始まって、豊臣家が滅ぶくらいまでの時期と考えられます。
で、描かれている人の顔は顎の長い馬面で……そんなのあって、描いたのは岩佐又兵衛さんではないかと考えられているそうです。

東博模本

次は、掛軸11軸にわかれている洛中洛外図。これは1670年から80年に可能はの絵師が書き写したもので、元になったものは、もっと古いものだろうと。で、描き方が上杉本に近かったり、また、二条城もなかったりと、古い時代を描いたものだろうと。もしかすると、上杉本(1565年)よりも前の京都を描いたものかもしれないそうです。

岐阜市歴史博物館本

左の中央に二条城、右の中央に御所がそれぞれ大きく描かれているので、江戸時代になってから描かれたものでしょう。で、よく見ると、二条城から御所に行列が伸びているので、これは東福門院の入内の場面を描いたものではないだろうかということです。

池田本

これは、岐阜市歴史博物館のものと建物の配置や人の顔形、金雲の形がそっくりで、たぶん同じ時期に同じ作者または工房で作られたのではと言うことです。岐阜のものと違って行列は無いですが、御所に三つ葉葵の描かれた長持が入っていっているので、やはり東福門院の入内が描かれているのではないかということです。

で、この屏風は池田家伝来のものとされるものの、文献で池田家が所有していることが確認できるのは大正時代までだそうで。なので学芸員さんとしては、林原美術館岡山大学の文献を調査して、江戸時代に池田家にあった証拠を掴みたいと熱く語っておりました……。


ということで、文章量からも上杉本の解説に偏重していたのが判りますね……。時間配分って難しいですよね。
まぁ、舟木本の洛中洛外図屏風は、今はちょうど東博のVRギャラリーで解説をしてくれますので、見に行って再学習したいですね。