昨年は各地で山口晃さんの展覧会というか澱エンナーレが開かれていましたが、その最後を飾る展覧会は故郷に錦を飾るのだとばかりに少年時代を過ごした群馬県での開催です。
とはいっても館林はなんとも遠くて後回しになっているうちに会期末の方が近づいてきましたので、年末年始の休みを利用して行ってきたわけです。
さて、館林は東武鉄道に乗っていくのが一般的です。総武線の沿線からは、亀戸で東武線に乗り換えて曳舟、北千住を経由して館林へ向かうコースとなります。北千住から館林まで39分で特急料金が1000円もするので一瞬躊躇しますが、出発した時間の関係で特急に乗らないと1時間に1本のバスに間に合わなくて美術館の到着がものすごく遅くなってしまうので、迷わずに特急に乗るしかないのです。
そして館林駅に到着。知らないうちに駅舎が2つに増えてましたわ。
館林駅から美術館(に近いところ)まではこのバスで30分でした。結構遠回りなので、スマートフォンの地図を見て歩いても良いよという人は、バスに乗らずに多々良駅から歩いた方が早く到着しそうです。
バスは美術館にほど近いところまでしか行きませんでしたが、雲の感じがよかったので無問題です。
ということで、館林美術館に到着。小岩から2時間半かかりましたわ……。
早速、山口晃展を見ます。
今回の展覧会では、山口さんが少年時代を過ごした群馬県らしく、芸大に入る前の作品(山口さん曰く、おえかき)も展示されてました。本当に小さいころからのがあって、これは取っておいたご家族が素晴らしいです。にしても、小さいころから絵が上手いですな。
そして、東京芸術大学時代の作品を見ると、既に今と同様、時代を縦横に駆けめぐる画風は既に確立されていますが、ちょっと画面が黒ずんだ感じ。たとえて言えば、今の山口さんが印象派だとすると、大学時代はバルビゾン派のような。こんなところにも、作品が時代を経て洗練されてきたことを感じます。
あとは少し、作品の感想を書いておきます。
まずは、展覧会の冒頭に展示されていた「大師橋」。たぶん多摩川の大師橋をモチーフにしているのでしょうが、絵よりも、その横に展示していた平面図と断面図の方に興味が。あの緻密な絵の裏には、建築家も顔負けの設計図があったんですね。
山口さんの展覧会では良く目にする「當世おばか合戦」。これを見ると歌川国芳の「源頼光公館土蜘作妖怪図」を思い出すのですが、これは何故なんだろう……
「九相図」とタイトルのついた絵は、毎度おなじみの馬とバイクの合体したキメラ(?)の九相図で、ちゃんと最後には骨組みだけになるのが斬新でした(ほら、半分は機械ですし)。
小説などのために描いた挿絵も多数ありました。けど、館長判断で隠すための紙にも自筆が入ってたりと、山口さんの茶目っ気が垣間見えたりして。
それから、小説「親鸞」の挿絵も、「笑い声が怒った」とか、親鸞の結婚のお知らせはがきとか、駄洒落系のやつも見ることが出来て私はうれしいわ。
「TOKIO山水」は、製作年が2012年になっていて、ということは森美術館に展示して以来加筆してないってことなんですかね?(山口さん忙しすぎて加筆どころではなさそうですが)
展示の最後の方には上州カルタを作ってましたが……、読み札が2枚以上とか、面白すぎますって。
とまぁこんな感じで、最近の作品については、そごう美術館の方が充実していた気もしますが、やはり画家としてデビューする前の山口さんを確認できてうれしい展覧会でした。
山口展のあとは、常設展示も。この別館が中々おしゃれです。
展示の方は彫刻に力を入れているようですが、それ以上はよく判りません(って、適当な)。
美術館をあとにして、今度はちょうど良い時間のバスも無かったので、歩いて多々良駅に向かってみます。
あ、電車だ(列車が走ると反射的にカメラを向けるのは止めなさい)
そして駅に到着。狸さんがいるのは、文福茶釜(館林市の茂林寺が舞台)の関係でしょうかねぇ。
ちょっとホームで写真を撮ったりして
この先は、いつもの根性(行きと同じ道は極力避ける)で、高崎経由で帰ってみようと思います。
ということで、まずは東武伊勢崎線で伊勢崎へ。
ちょっと夕暮れの山並みがいい感じ。
そして高崎からは、またまた快速のグリーン車に乗って上野に戻ってきたのでした。
なんか青春18きっぷを使うとグリーン車に乗る回数が増えて、余りお得になってない気が……。