月猫ツーリスト雑記帳

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山種美術館講演会「富士を描くとはどういうことなのか」

3月15日の土曜日に、山種美術館の主催する講演会がありました。

ちょうどこの週から開催している展覧会「富士と桜と春の花」にちなんで、「富士を描くとはどういうことなのか」と題して室町時代以降の富士山を描いた日本画について見ていくものでして、講師は山下裕二先生でした。というか、山下三省なら面白い話になるだろうと思って申し込んだんですね。


さて、講演会の方は、まず最初に式部輝忠から始まります。
以下、式部輝忠の作品と関連する諸作品について説明してた箇所を、ちょっと再現してみます。



この式部輝忠、山下先生が修士論文のテーマに使ったそうで(卒論は長谷川等伯だったものの、山ほど先行研究があってオリジナルが出せなかったので、誰もやってないのをやろうと思ってテーマに選んだそうです)、作品は欠航残っているものの、ほとんど伝記が判らない絵師ということです。


まずは式部輝忠の作品の中から、静岡県立美術館が所蔵する「富士八景図」を見ていきます。

この作品、上の方に長文の画賛がありますが、この画賛を書いた人の没年が1532なので、それ以前に描かれているということが判ります。
で、その画賛を読んでいくのですが、崩した字だから活字にするだけで大変。ですが先生はバブル華やかなりし頃に宗論のために一人読みくだしていたそうです。

この画賛の原文、書き下し、現代語訳は手元に配られていたのですが、読み下したって良く分からないので、現代語訳をみると、どうやら自分が知っている限りの富士山の知識を書きつらねてる様子。室町時代の画賛には、このように知っていることを書きつらねるようなものが多かったそうです。

そして、「八景」なので8幅の掛軸になっているので一幅ずつ見ていきます。
第2幅で富士と美保の松原が描かれていますが、そこに帆船を描くのが典型で、この作品でも描かれています。
また、第5幅では富士をバックに雁が連なってますが、これも典型的な描き方。
このどちらもが、牧谿の瀟湘八景図が元ネタです。

このように、室町絵画は日本だけ見てても判らなくて、大陸との関係も見ないといけないので大変なんだとか。

ちなみに牧谿の作品は日本にしか伝わってないため、先日、中国国営放送が牧谿の番組を作りたいということで山下先生のところに相談に来たそうです。で、それに協力して山下先生が牧谿を所蔵しているところに撮影の交渉をやっているとか。



次に、式部輝忠以外に室町時代、富士を描いた水墨画はそう多くなくて……ということで紹介されたのが、祥啓の「冨獄図」。式部輝忠の作品よりもリアルな描き方です。
祥啓は鎌倉で活躍した画家で、この人は京都まで絵の修行にいったことがあるそうです。おそらく式部輝忠は祥啓から絵を学んだのではないかと。

富士山については、関東の画家が描くことが多いそうで、京都の画家は実物を見る機会もないので描くことは少ないのだとか。



ここで、式部輝忠の他の作品が紹介されます。

まず、サンフランシスコアジア美術館が所蔵する「四季山水図屏風」。ものすごく壮大な水墨画で、幾何学的な、CGの様な山水を描くのが特徴です。墨だけでなく、金も併用していて目を引きます。
ちなみにこの、サンフランシスコアジア美術館は、東京オリンピックのときのIOC委員長がコレクションしたものが元になっているそうで、この作品は滋賀の神照寺の蔵を丸ごと細見さんが買った中にあって、最初細見さんは雪舟だと喜んだものの、雪舟じゃ無かったので売ってしまったものだとか。


静嘉堂文庫美術館の「四季山水図解風」。こちらは、「この木の折れ曲がり方はなんですか!」と先生絶賛です。


京都国立博物館の所蔵する「巖樹遊猿図屏風」。
お猿さんがそこかしこに描かれていますが、何を書いても一定のリズム感があるのが式部輝忠らしいところです。


頴川美術館の「蓮に小禽図」。これも人工的な花鳥図です。


また式部輝忠は扇面画を沢山書いていますが、扇面画は当時、作品の見本帳のような役割をしてたため、沢山描かれていたのだとか。



先程「巖樹遊猿図屏風」が出てきましたが、お猿さんも牧谿に由来します。ということで大徳寺が所蔵する牧谿の「観音猿鶴図」が紹介されます。別名、牧谿猿。
そもそも、牧谿が描くような手長猿は日本に居ないのに、室町から江戸初期の画家が描く猿はみんな手長猿。日本猿は応挙辺りから描き始めることになります。


ということで、そして、長谷川等伯の「松林図屏風」も牧谿の影響があるそうで(先程の「観音猿鶴図」の猿の下の方にある枝の描き方に似ているところがあるなど)、多分等伯は、利久のつてで大徳寺牧谿の作品を見せてもらった野ではないか?と推測できるそうです。



ここで、式部輝忠同様、関東で活躍した画家の代表ということで、雪村について見ていきます。
関東の水墨画研究はここ20年くらいで進んだそうですが、関東の画家の作品はは戦後アメリカに行ったものが多いのだとか。一方、牧谿雪舟といったビックネームは海外には出ていなくて、その時点のネームバリューで海外に渡ったかどうかが決まったようです。


ということで雪村。まずはミネアポリス美術館の「花鳥図屏風」。梅の木がねじ曲がってねじ曲がってねじ曲がっているのが特徴です。


そして、茨城県立歴史館の所蔵する「欠伸布袋・紅白梅図」。中央の布袋の両隣に紅梅と白梅がある構図を見せながら「光琳紅白梅図屏風に似てると思いませんか?」と。
なんでも尾形光琳は雪村の絵が大好きで、江戸に出稼ぎにきたときに見て、入れ込んだのだとか。
そして更に山下先生、「僕は、この絵は光琳が雪村をまねて描いたんじゃないかと思ってる。でないと、布袋のあくびの線とだって紅白梅図屏風の川の線と、余りに似すぎてる」と。山下先生らしい大胆仮説、ここで登場しました。
 


このあとは、今回の山種美術館の展覧会に出展されている富士が描かれている作品に一言ずつコメントを入れてましたが、ここは省略しまして。


そして最後に、NHKの番組のせいで富士に「登らされた」際のビデオ(NHKの番組)をダイジェストで流してました。
何でも、北斎富嶽三十六景の中に富士山の火口を描いたようなものがあると番組のディレクターに言ったところ、「それなら先生も実際に火口を見て確認しないと」というような話になってしまったそうで……。

しかも、9月になって山小屋も閉店しているような時期に日帰り弾丸登山をして、そのうえで山頂で北斎について語るとか……お疲れさまです……。



ということで、山下裕二先生の話は楽しいやねぇ、というのと、自分が良く分かってない室町の水墨画について勉強できて良かったです。

それにしても、美術史の先生って富士登山までさせられる、体力勝負の仕事だったとは……。