横浜開港資料館で「ときめきのイセザキ140年」というのをやっていましたので、見てきました。
横浜での繁華街というと横浜駅西口と元町が有名ですが、横浜駅西口が相模鉄道によって開発される前は、伊勢佐木町が最大の繁華街だったのです。
中央駅と中心商店街が別の場所にあり、商業の中心が中心商店街から中央駅の方に移動するのは全国的にみられる状況です。もともと鉄道の駅は、町の中心部に作ろうとすると既存の建物などを壊さないといけないので、都市のはずれに作る傾向がありました。
当初、品川から横浜駅まで開業したころは横浜駅も繁華街に割合近いところ(今の桜木町駅)にあったのですが、その位置では名古屋方面に線路を伸ばすには折り返し運転が必要となってしまい、駅の方が折り返し運転をしなくても良いところまで移動してしまった結果、中心駅と中心商店街が別の場所になったのです。
横浜の場合、戦後の急速な東京拡大に伴ってベッドタウン化した影響で、昔ながらの商店街であることより、交通の便の良いことが重視され、横浜駅西口に人が流れていくようになったようです。それでも元町は、JR線から山下公園に行く際の通り道である地の利を生かして何とか復活してきたものの、伊勢佐木町は沈んだままになってしまい、すべてのデパートが撤退した今では、パチンコ屋にユニクロにブックオフに……。細長いイオンモールと化しています。
そんな伊勢佐木町が反映していたころの様子を写真や資料で振り返ろうというのが今回の展覧会。明治や大正のころの写真には、今となっては無くなってしまった野澤屋(横浜松坂屋)の建物や、吉田橋にあった松屋が映っていて、懐かしく感じます。吉田橋の松屋は私の記憶がある頃には丸井になっていましたが、今では取り壊されてマンションになっており、写真でしか当時をしのぶことができないものです。
また、大正時代の写真では、伊勢佐木町が娯楽の中心だったことがわかります。映画館が沢山あって、大阪から花月も進出してきてなんとも華やかです。今では映画館が2件くらいしかなかった気が。横浜駅前に相鉄ムービルという、映画館が5つ入ったシネコンのさきがけのようなビルが1971年に出来たのち、映画を見る人までが伊勢佐木町から横浜駅にシフトしたのが、伊勢佐木町凋落を決定づけた気がします。
一番最後に飾られていた写真は、紅白歌合戦で「ゆず」が横浜松坂屋の前で歌ったシーン。思えば、これが伊勢佐木町が最後に盛り上がった瞬間でした。
どうも地元なので、今の伊勢佐木町のイメージを重ねながら見てしまい、少し悲しくなる展覧会でした。他の町を題材に同じような企画をやっていたら、ここまで悲しくはならないと思うのですが……。