横浜の大桟橋で「地図展」なるものがあるということで、鎌倉の美術館を見た後に行ってみました。
こちらの地図展、「地図展推進協議会」という日本地図センターや測量関係の団体の連合体が主催になってまして、要するに地図というか地形図の普及促進のためのイベントという感じです。
まぁ、こういったイベントの常で、一般の方への啓蒙ではなく、既に趣味としている人が更に趣味を深める、狭く深くの会になりがちなのですが……。
それはともかく、展示されていた地図を見ていきましょう。
今回は、床に広げた地図を順に辿っていくと、横浜の歴史を過去に遡っていけるようになっていました。
まずは現代の横浜の地図。詳しく見たい方は、実際に地理院地図にアクセスしてみましょう。
本牧の先に張り出しているのは、最近埋め立てている南本牧。まだ埋立中で建物が無いので、白さが目立ちます。
そして1963年の高度成長期の航空写真と地図。
横浜駅周辺は、高速道路が無いので川が目立つのと、みなとみらいが無くて三菱の造船所が見えます。
米軍住宅だらけの本牧に、埋め立てが始まった磯子沖。
磯子の地図には、まだ久良岐公園が無いですな。
横浜駅付近の、1947~48年の航空写真と、1944年の航空写真。
縮尺が違うので判りにくいですが、1947~48年のほうが目立つ建物が少ないように思えます。
1933年の、これは横浜市が作成した1:3,000の地図だそうで。
1963年の航空写真と比較すると、本牧の米軍住宅が民家をどけて作られたのが見て取れます。
1922年と1907年の地形図。
今の横浜駅西口が地面になったのはこの頃のようです。
あと、吉田新田の奥の方(吉野町駅の辺り)が、1907年の方だとまだ住宅地になってないのも注目点かと。
1881~82年のフランス式彩色地図。
フランス彩色地図は色でテンションが上がりますね。
このころは、吉田新田の中も日ノ出町駅から伊勢佐木長者町駅を結ぶ道路の辺りまでしか人が住んでなかったようです。
そして最後は伊能図
なんか、村が点在しているだけの農村地帯だったのが見えますね。
と、調子に乗って床の地図を写真で撮ってきましたが、同じことはiPhoneでもできるんでした……
(iPadの東京時層地図には横浜の範囲も収録されています)気を取り直して、その他の展示。
要塞地域である横須賀をすべて白紙にした、1:50,000「横浜」(東京8号)。
これは初めて見たなぁ。
京急の案内図も、要塞地帯の区域線と注意事項入り。
このほかにも、海図などもあって、地図好きとしては楽しめる展示だったのではないかと思います。
まぁその、一般の方にささっているのかは、よく判りませんが……。